やっとこの歳になって、
戦争だったり政治だったりと、
考えるようになりました。
今まで知ろうともせずに生きてきましたが、
身近で学べることは学ぼうと思います。
山本五十六記念館
出かけたついでに、山本五十六記念館に行ってきました。
太平洋戦争時、連合艦隊司令長官だった、
くらいの認識しかなくてお恥ずかしいです。
今は、コロナの影響で事前連絡をしてからの見学となっていたようですが、
この日は突然の訪問でも対応してもらえました。
この近辺は来ることがありましたが、
記念館があることはわかりませんでした。
大きな建物ではありません。駐車場も数台止められるくらいです。
* * *
じっくりと見てきました。
五十六という名前は、
父親が五十六歳の時の子だったところから名付けられました。
中に入ると、目の前にありました。
前線視察のために山本五十六長官が搭乗していた
一式陸上攻撃機の左翼が展示してあります。
これは、ブーゲンビル島上空にて、米軍の攻撃によって墜落したものです。
長官機は、攻撃を受け、ジャングルへと墜落していきました。
後頭部から額への貫通銃創で即死でした。
搭乗していた11名全員が戦死。
山本長官は、この時、何を想っていたのでしょうか…。
パプアニューギニア政府の厚意により、
平成元年(1989)`、この左翼の里帰りが実現しました。
記念館には、
山本五十六の生涯や人間性などがわかる資料がたくさん展示されています。
展示されているので、私も顔をじーっと見つめてみました。
私は、淋しげな悲しげな感じに見えました。
1919年(大正8年)、山本五十六はアメリカ駐在を命ぜられ、
約2年間で英語をマスターするのが主な目的でしたが、
それ以上に、アメリカという大国の底力を見せつけられることになりました。
アメリカと日本の実力差を熟知していたことから、
最後まで戦争に反対していたと言われています。
山本五十六の名言
山本五十六は、明朗な性格で、
部下や同僚から非常に高い信頼を寄せられた人物でした。
生前、口にした数々の名言の中でも特に有名なのが、
こちらです。
やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、
ほめてやらねば、人は動かじ。
まず、自分がやってみせる。
やってみせたら、
相手にちゃんと伝わるように言って聞かせる。
そして、やらせてほめる。
ほめて肯定してあげることで、
人は自信を持って取り組むことができる。
* * *
ビジネスの場だったり、
子育て中のお母さんなどに人気がある言葉です。
心に響きます。
「こんな上司、指導者、親がいてくれたら……」
と思います。
私は、親になりこれが実践できていたかというと…
考えてしまいます。
続きの言葉があります。
話し合い 耳を傾け 承認し 任せてやらねば 人は育たず
やっている 姿を感謝で見守って 信頼せねば 人は実らず
心に留めておきたい言葉です。
山本五十六の生家
記念館正面を出ると、道路向かいの先にこの銅像の後ろ姿が見えます。
そこは、山本五十六記念公園になっていて、生家跡があります。
記念館に車を止めたまま、歩いて行きました。
山本五十六記念公園です。銅像があります。
静かな、小さな公園です。
生家です。
現存している建物は、長岡空襲で焼けてしまった家を復元したものです。






やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、
ほめてやらねば、人は動かじ。
この言葉を大事にするような会社だったら、
私、会社のためにもっと頑張ったと思います。
いい男です。私はそう思います。