いっぴつじ blog

ひつじが一筆かきます。愛猫もたまに交えて(*^-^*)

【終戦間近20歳で兵隊】になった方から聞いた話

私の母は82歳で、 今も細々と店をやっています。

そこに来るお客さんだったり、 お茶飲み友達の話です。

私が高校生の頃から知ってる、

高齢の男性から聞いた戦争の話です。

 

終戦の2カ月前に20歳で入隊

この方は、4年前に89歳で亡くなられました。

大正15年生まれで、生きていれば94歳です。

 

生前、私の母の店に来るお客さんでした。

歳もとり原付バイクを辞めてからは、

私がそのおじいちゃんのところに

月に1度は配達に行ってました。

 

「ごめんくださーい。持って来ましたー。」

「おーー、あがってお茶飲んでけ。」

「えっ、はい、おじゃまします。」 

私となんでもない会話をするのが、

楽しみだったんじゃないでしょうか。

 

「戦争のこと」を何度か話してくれました。

長年、母と交流がありながら、

母は聞いたことがなかったそうです。

 

19歳で自ら志願して徴兵検査を受けた時は、

けんすいで落ちてしまったりで不合格となり、

悔しい思いだったそうです。

 

20歳の時、再度徴兵検査を受けて合格しました。

とても嬉しかったそうです。

「あの当時、俺はね、戦争に行って戦ってきたい!

という思いが強かったんだ。」

と話してました。

 

それとは逆に、徴兵を逃れるために、

自傷したり、視力が悪いように見せたりする人もいたそうです。

それを聞くと、

本当のところの意志は、

人それぞれ複雑だったんだと思われます。

 

海軍に入隊(1945.7.1)

”京都府舞鶴”に配属になります。

終戦となる8月15日までいたそうです。

 

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これが証ですね。大切に持っておられました。

7月1日の出兵の日、

地元の青年会の若い男女が書いてくれた寄せ書きを、

たすきにしてかけます。

 

近くの神社でお参りをして、部落長があいさつ、

その後自分もあいさつして、お神酒を飲んで、

みんなに、「ばんざーい!ばんざーい!」と言われながら、

駅まで送ってもらうんだそうです。

 

♪ 勝って~くる~ぞ~と 勇ましく ♪

 

みんなが旗を振って歌うそうです。

テレビで見るそのものです。

 

その日、駅から乗ったのは4~5人だったが、

次の駅、またその次の駅と、

この日、出兵の人達が乗り込んできて、

10駅目くらいには満員になっていたそうです。

 

恐怖の「全員罰直(ぜんいんばっちょく)」

毎日毎日訓練だそうです。

 

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ある時は、

「新兵小銃教程(検定)射撃」といって、

実弾5発を撃ったことがあるんだそうです。

それを誇らしげに語っていました。

 

訓練は、1つの班で25人くらい。

 

海軍である舞鶴練習隊には、

「罰直(ばっちょく)という言葉があり、

1人でも悪いことをすると、

「全員罰直‼」といって、

全員が棒で叩かれたそうです。

連帯責任です。 

罰直(ばっちょく)とは

上官への服従を観念付けるための体罰であったり、

集団・規律を高めるための体罰

 

海軍では、陸軍と異なり「しごき」や肉体的制裁が

公然と認められていたそうです。

 

毎日毎日たたかれて、今日は誰が何をしたのかさえわからずに、

たたかれてたそうです。

私にもとても話せない言えないほどのことが、

たくさんあったんだそうです。

 

食事の時は、当番が4人くらいで盛り付けをします。

当然上から先に盛り付け、だんだん下にくると、

強そうな人や体が大きい人に取られ、

背の低い人や小さい人は最後中身がなかったといいます。

 

それだけ食べ物に関して言えば、

みんながいやしくなっていたそうです。

切なかったそうです。

 

思うこと 

その方は兵隊になって、訓練中に戦争が終わったので、

戦地には行ってないわけです。

今生きていて94歳の方が、兵隊にはなっていても、

戦地には行っていません。

 

そうすると、それ以上の方が語らない限り、

戦争のことはわかりません。

戦後75年です。

私が聞けても、ここまででした。

 

私の母は小学生でしたので、

B29が飛んできて、わーーーと喜んでた、

というくらいの経験です。

 

母は、自分の父親が海軍で3年も戦地に行って、

生きて帰って来ていたのに、

戦争のことをあまり聞けてなかったそうです。

凄惨な場面を見てきたのかもしれません。

 

母は、終戦の「玉音(ぎょくおん)放送」の時に

周りの大人が泣いていたのは覚えてるそうです。

 

終戦75年と聞いて、

あの時のおじいちゃんのことを思い出したので

書いてみました。 

 

亡くなったと聞いた時は、

手を合わせに行って来ました。

遺影を見て泣いてきました。

最後の何年か配達に行って、

話せたことの感謝を伝えてきました。

戦争はいやです。

 

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